THE PRISONER


WE COME FROM PLACES YOU DON’T WANNA GO, WE WILL KNOW THE TRUTH YOU REALLY WANNA KNOW, HERE COMES THE PRISONER
THE PRISONER NEW DVD ON SALE!
  • PROLOGUE
  • TEN YEARS HAS PASSED
  • A NEVERENDING JORNEY

PROLOGUE
ザ・プリズナー。2004年に誕生。もう少し詳しく言いますと、自分が結成前にやっていたバンド(ジ・アヴォイデッド)が変名してザ・プリズナーと名乗っていたというのが一番的を射てるし解りやすい説明ではないでしょうか。
ザ・プリズナーというバンド名は当時のメンバーが考えた。発足メンバーは前のバンド(ジ・アヴォイデッド)のメンバーにナナをプラスした5人編成で始めました。


Encounter with Nana
ナナは当時、ほぼ毎回ライブに来てくれていたんだよ、まだ17歳ぐらいだった筈。パンクのライブに来るからってパンク・ルックにならない頑固さが好印象だった。自分のスタンス、価値観がしっかりしていた。後ほど発覚するオツムの出来は別としてクレバーな印象だったんだよね正味(笑)。
新宿ロフトでザ・プリズナーのメンバーに入ってほしいと告げた。確かジ・アヴォイデッドの解散ライブの時だ。それからスタジオに入り何度も何度もぶつかりあって練習に明け暮れた。泣きながらスタジオを飛び出す事も何度もあった(結局戻ってくるのだが)。しかし彼女は決してギヴアップする事は無かった。
半年もたたずメンバーはナナ以外入れ替わっていった。


PART OF DONZOKO
パンク・ロックを追及していくが故に既製のパンク・ロックの模倣に終始する表現が俺はどうしても嫌だった。
飽きたって言うより嫌悪だったんだよね正直。だって俺は周りの年下のイエスマンに頷いてもらいたいわけじゃないし、別に外人になりたいわけじゃない。誰かと同じ恰好する為にパンクが好きになったんじゃない、自分自身になりたかったんだ。だから否定するしかなかったんだよ。

そもそも「俺とお前は一緒だ」って価値観が理解できなかった。「俺と君が違うのは当然。そのうえで理解して解り合おう」とは誰も言わなかった。どれだけ昔のパンクバンドに似ているか。それを競い合うだけに思えた。ハッキリさせたかったんだと思う。かといって勢いだけの無知な反逆、暴力を掲げるのも反吐が出る程嫌だった。正に暗中模索、方法は手探りだけど表現したい事はハッキリしていたんだ。自分の事を、自分の歌を歌うと煙たがられる時代だったよ、間違いなく。インディビジュアリズムなんて掲げても、見えない階級に対して歌っても、蔑んだ目で見られるのがオチだった。「真面目だね」「熱いよね」、それらの言葉は揶揄する為に使われるようになっていったんだ。本来の意味は蔑にされて。自主盤の売り上げで養護施設に寄付しただけで売名行為なんて言われた事もあった。正気の言葉じゃないよね。そんな感じの耳を疑う言葉を頂戴することが多かったよ。「そもそもお前はパンクじゃない」なんてよく言われた、思い返すと酷い台詞だよね。けどね、間違いなくそういう否定的な多数側のアンチな声が俺の進むべく方向性だったり、自分自身の表現方法に対して「これでいいんだ」と疑心が確信に変わるキッカケになったのは確かなんだよ。

何処何処のバンドの○○がギターを担当!そしてあのバンドから○○がベースとして参加!みたいな寄せ集め的なオールスターバンドとは確実に一線を画したかった。どんなブームも関係なかったし何処の系統にも属さなかった。落ちこぼれの第三野球部、そんな感じでカウンターな行動を起こしたかった。本気で10年先、20年先を見据えて始めたんだ。スタミナと言葉は溢れていた、3回生きても黙らない程やりたい事も言いたい事も溢れていた、勿論今もだけど。地方から出てきた18歳の女子高生と28歳の日雇い労働者がヴォーカル。そこにジャパニーズ・ドリームを本気で叶えようとしていたけど歳追うごとに萎んでいっていたアラサー(アラウンド30)日雇い労働者の中からメンバーを探した。

「ゼロから」がテーマだったんだ。デイ・アフター・デイ日払いの重労働に明け暮れていた。そんな仕事場の同僚に平日ライブに呼ばれてさ、見にいったら客5人とかなんだよね。「俺達最高!」なんて打ち上げで強がっていたけど笑えていなかった奴に声をかけていった。「そのまま終わるつもりか」って。面倒くさい事に箸にも棒にもひっかからないバンドやっていても、否、むしろ揉まれていない分そっちの方が腐ったプライドと講釈だけは一丁前だって相場は間違いない。自意識だけは過剰なもんで仕事場で何度もぶつかりあうんだけど奴等、悔しさも何もかも酒で全部流してしまうんだ。上っ面だけの「ロック論」を居酒屋でぶつけ合うのが関の山で、本来、家に持ち帰って本気で向き合わなければならない事柄も全て泥酔してトイレにゲロと一緒に流してしまうんだ。だから時間と酒に流されて何人も腐っていくのをこの目でしっかりと見てきた。

かく言う俺もそんな中の一人でね、パート・オブ・どん底で競い合ってる目くそ鼻くそ。明日への言い訳だけで今日と言う日を浪費して自堕落な生活を送っていたのは事実だ。そんな風に見つけたメンバーだから一筋縄で進むわけもなくバンド結成当初は喧嘩ばかりしていたよメンバー達と。

Encounter with TAKASHI
ベースのタカシとはよく現場で一緒になっていた。当時の印象は常に渇いているって言えばいいのかな?何かを渇望している感じだった。ライブに呼ばれて見に行くんだけどいつも不満足な感じでさ。ベースよりも「俺、もっともっとバンドやりたい」って心模様が宿った表情の方が圧倒的に印象に残ったんだよね、強烈に。だからベースを探す時に迷いはなかった。つまらん事で取っ組み合いの喧嘩もしたし、罵りあった事もあった。それと共に喜びも悔しさも分かち合えた。
俺の中ではそれが重要だったんだよ、情熱と同じぐらいに。


Encounter with MICHIAKI
鍵盤のミチアキa.k.a KUROCHANGにも同じ事が言えた。もともとミチアキは前のバンドまでベーシストだったんだ。
彼は音楽を作り上げる情熱は人一倍あった。現場にいつもウォークマンをして来ていてね「何聴いてるの?」と問うと自分が宅録した作品を聴いていると答えるんだよ。耳を疑うよね、自分の作品だよ、リリースもしていない、する予定もない自分の作品を聴いて練り直しているんだよ。ライナーノーツに憧れて紙に自分でライナーを書いてCDに挟んでいた自分と完璧にダブっちゃってさ。なんか同じ匂いを感じたんだよな。居なかったんだよねそんな奴は俺の周りに。所謂変人って奴が。それでそのウォークマンを聴かせてもらったらさ、もう情念の塊の様な作品なのよ。自分の情熱を何処に向けていいか分からず暴発寸前、ほとばしる強烈なリビドー、人が蟻の様に行き交うスクランブル交差点の真ん中で、膝をつき声にならない叫び声をあげている男。マジでそんな印象だった。
話は前後するけどダイゴと所沢まで行ってミチアキを口説いた。メンバーになって欲しいと。失礼を承知でベースじゃなく鍵盤を弾いてほしいと。生まれつきの才能なんてものは俺は誰にも無いと思っている。抱いた情熱を燃やして一歩一歩膨大な時間と労力を積み重ね、目に見えない音と言葉を彫刻、超克していくこと、いけることこそが才能だと思っている。


Encounter with DAIGO
当時、ダイゴは上京してきたばかりの時期で共通の先輩の紹介で俺と共に働くことになった。衝撃だったよね、先ずそれまで抱いていたドラムの概念が打ち砕かれた。強烈以外の言葉が見当たらない程に強烈だった。16歳でレコードデビューを果たし 海外のレーベルからもリリース、界隈でもその強烈なドラミングは誰もが認めていた。そしてその理由は確かに彼自身の中にあった。貪欲なまでの探究心は人格にも表れていた。正直、俺の考えが変わったのはダイゴとの会話の影響が大きい。
憎しみと怒りに身を任せていた当時、あいつの言葉は真っすぐで胸に深く深く刺さった。「どんなメッセージを歌おうとええと思う。それぞれがそれぞれに歌えばええと思う。ただ音楽はフェアなもんで、聴いた人に委ねるもんや」そんな言葉があったから俺は怒りや憎しみを力に変える事が出来たんだろうね。アイツの言葉で。口論の様に激しく意見を戦わせる事もあった。今思うと赤面するような言い合いでも必然だったんだと感じる。当時から常に俺の文章や歌詞にしっかりとした自分の見解を教えてくれたと同時に背中を押してくれた。だからドラムを探す事は無かった。探す必要が無かった。
俺の目に映るドラマーはダイゴしかいなかったんだよ。


Ten Years has Passed
とんとん拍子に聞こえるだろ?
ここまで上京して10年の年月が経ってるんだぜ、少しずつ少しずつ詰めた間合いと描いてきた青写真。形に出来るメンバーが揃いつつあった。

Reunion with OSAMU
前任のギタリストがファーストアルバム録音時にリタイアした時、急遽ギタリストを探す必要があった。
否、正確に言うと探す必要は無かった。連絡する男は決まっていた。15歳の時からずっと一緒にやってきたギタリスト。色々あって二人の間に少しブランクはあるけど、本気でやるのならアイツしかいないと心は決まっていた。
オサムに連絡すると決まっていた。答えは一瞬だった。


Hell Bent
そんな俺達はライブを重ねた。我武者羅に。いろんな場所でライブを繰り返した。
ノルマ有りのブッキングで、今はもうこの世に居ないギタリストの企画で、知り合いが呼んでくれた企画で。呼ばれれば何処へでも行った。
ライブに呼ばれる事が何より嬉しかった。誰かに必要とされる事なんて殆んど無かった分、心は躍った。


Encounter with TOMONORI
リッケンバッカーをぶら下げたトモノリが「一緒にやりたい」と歩み寄ってくれたのもそんな時期だ。
トモノリは自身でバンドをやっていたが自分から歩み寄ってくれた。周りに小言を色々言われたりしたけど何にも関係無かった。何か言ったり拗ねている奴等の瞳には妬みと俺達の情熱にあふれる姿しか映っていなかった。何より生き生きと弾けて、悩んで、笑って泣いているトモノリが「これがバンドだ!最高!」と叫んでいたのが答えだった。
2007年バンドは本格的に走り出した。


A Never Ending Journey
俺達走り始めた頃、価値観って言うか意識が物凄く低い感じやった。自意識過剰になってしまうメンバーも居た。酒の力を借りて大物を垂れたり、酔っぱらって気が大きくなり大口を叩きあう事もあった。けどガンガン頭をぶつけて其の度に本気で「考え」「向き合う」ことを止めなかった。
先ず、第一に自分の不甲斐無さに悩み苦しんだ。おこがましくもバンドを、メンバーをより良き方向に導きたくて、その為に苦悩と葛藤の日々は果てしなく続いた。それでもついてきてくれるメンバーに俺はどう向き合うべきか常に考えていたんだ。 それは今でも変わらない。

「ついてきてくれる」は少しニュアンスが違うかもね。俺がついていっているのかもしれない。マジで。
俺は結局そんなメンバー達と一緒にやって行きたいんだよね。ゼロから、何もないところから始めたから。
それは俺の小さなプライドだから。大好きなんだろうね、メンバーの事が。

そんなこんなで集まったバンドのメンバーのことが大好きなんだよ。あれから俺達何年も共に闘ってきた。最初は指くわえて震えてたのも、影に隠れて見物していたのも、我関せずって感じで自分を守ってたのも居たけど、今やもう全員が全員それぞれに闘っている。例外なく協力的で自分のやるべき事をそれぞれ心得ている感じなんだよね。
こんな素敵なメンバーと終わりの無い旅に出かけたわけで。それが今でも続いているなんてトキメキが止まらないってこの事さ。

そもそも俺は養護施設で初めてザ・クラッシュの「白い暴動」を聞いた時にこれしかないと感じたんだ。
自分自身の暴動。
自分の中で自分自身の暴動が勃発したんだ。
なんだかんだ言って、俺は今のメンバーが最高だと思っている。
このメンバーじゃないとプリズナーじゃない。

あの頃の気持ちは忘れていないぜ。
「ライブ呼ばれたで!出ようや!嬉しいね!」「当然じゃい!全部出るで!」
あの頃の気持ちのままさ。受けられるもんは全部受ける。
毒も涙も全部残さず喰ってきたんや。何だって何処だってやらせてもらうで。
さささ、プリズナー御一行のお通りですぜ!道をあけるな!道を塞げ!
声高らかに歌い出せ!
次はアンタの街で会おうや!

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